「聖徳太子架空人物説」では学べない歴史

結論は先にある もうちょっとだけ読もう

聖徳太子は実在しなかったという説が
まことしやかに流布された時期がありました

実在は否定できないので
その人物を貶めようと

聖徳太子ではなく厩戸皇子だと教科書に記載されるところでした
歴史上の人物なら何を書いてもいいんですかね

昭和天皇を裕仁と教科書に書くようなものです
さすがに心ある国民の声が強く大きく
水際で阻止できたようです

では聖徳太子が残した業績、事跡から
現代の私たちが学べることはなんでしょうか

まずは有名な十七条憲法

統一国家をつくるため
公務員の世襲の弊害をなくし
有為の人材を登用するためだと解説されます

確かに人材登用のための制度でした
しかし、憲法制定の目的はそれだけではなかったようなんですね

第一条は
和をもって尊しとなす
でした

なんでも話し合いで決めると争いがなくなる
まるで民主主義の先取りのような説明ですよね

福沢諭吉の
天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず

ここだけ読んで 人は生まれながらに平等であるべき
と解説するようなものです

諭吉は、そのあとに続けて書いていますね

天は人を平等に造ったけれど
人生に差が出るのは
学問に励んだか 怠けたかの違いであると

十七条憲法も同じなんですね

第二条は
篤く三宝を敬え
三宝とは仏法僧なり

日本人が縄文の昔から大切にしてきた和
和のためには 仏教の布施の心が大事なんですね

布施とは相手のために
今 自分ができる精一杯を施すことなんです

和を 戦乱の時代に実現するには

国民のために働く役人こそが
布施の心を持てと諭してるんですね

現代の政治家、公務員にも
その心を持った方々いると信じたいですね

言いたいことが大事だから あえてタメぐちで

次は遣隋使について
思い込みを確認しましょう

自らを日出処の天子と名のり
大帝国の煬帝を日没処の天子と呼んだのは
対等関係を結ぶためだ、というものです

タメ語の手紙を差し出したからって
対等関係って言えるでしょうか?

そもそも、タメ語の国書なんぞ寄こしやがって、と
煬帝が激怒したのは有名ですね

「天子」と呼ばれるのは
隋の皇帝ただ一人であり

東の果ての弱小国の倭人が名のるとは
無礼も甚だしいというわけです

聖徳太子は、国書で挨拶につづけて
貴国で盛んな仏法について学びたい
教導していただきたい、と書いてるんですね

当時の仏教は最新の科学であり
政治哲学だったんです

遣隋使派遣に遡ること4年前
佛教精神に基づいて十七条憲法を制定しましたが

政権中枢の豪族たちは儒教思想から抜けられず
一番権威のある者の言うことしか聞かなかったんですね

当時の最高権威者は隋の煬帝でした

太子には仏法こそが大事であり
国政には佛教精神の徹底が必要だったんです

隋に教えを乞う姿勢をとりつつも
飽くまでも外交上は
煬帝と日本の天皇は対等である
と装ったとは言えます

朝鮮半島での百済や新羅、高句麗との地政学的な考察も可能ですが
文書一つで外交ができるとは思えません

これは現代でも同じですね

因みに北朝鮮への厳重抗議はファックスとのことです

等身大だから 伝わることがある

法隆寺って だれが建てたんでしょうか

大工さん、いやいや そうじゃなくて
太子さん、ですよね
そう聖徳太子です

世界最古の木造建築物としても 有名ですね
なにが凄いかって
地震大国の日本で
よくぞ倒れず 残ってますよね

一度は落雷による火災で焼失したものの
立て直されてから1300年以上
しっかり立っているんですね

芯柱にゆる~く吊り下げられている構造
なんですね
だから地震の揺れを吸収して
倒壊しないんだと 言われています

地震は 滅多に起こらないですが
いつでも心配しなければならないのは
火災ですね

金堂の貴重な壁画を失ったのも
火災でした
これ人災ですね

木造ですから
火事には気を付けなければ ならないですよね

だれか一人が気を付けるんじゃなく
多くの人々が 大切だと思わなければ
時代を超えて残らないですね

それをいつでも その気になれば
見に行けるって ありがたいですね

建物も立派なんですが
所蔵されてる仏像も 国宝であり
立派なんですよね

ところで 聖徳太子の身長って
どれくらいでしょうか

今に伝わる肖像画
彫刻などから

150㎝くらいって思ってませんか

昔の人は背が低い という思いこみもありますね

ところが どうもそうではないんです

夢殿に安置されていた
救世観音像は太子と等身大だそうです

その高さは180㎝!

聖徳太子って背が高かったんですね

リーダーとしてのイメージ 変わりませんか

凡人には分からないのが 天才

聖徳太子25歳の時
こんな予言をしたそうです

私の死後二百年以内に
一人の聖皇がここに都を作る

そこはかつてない壮麗な都になり
戦乱を十回浴びても、それを越えて栄え
千年の間都として栄える

しかし一千年の時が満ちれば
黒龍が来るため、都は東に移される

まさに桓武天皇が平安京を造営し
徳川家康が江戸に幕府を開き
黒船来航の後
明治維新で首都が東京となったことと
符合しますね

また、聖徳太子が26歳の時
百済国の威徳王がその王子
阿佐たちを使者として朝貢させたんですね

阿佐は、接待役に
「わたしはあなたの国に一人の聖人がいると聞いております
会見することができれば
願いがかなえられます」と言ったそうです

願いかなって聖徳太子と会見したとき
救世観音の生まれ変わりですね、と伝えると
太子は眉間から光線を放ったとされます

ウルトラセブンか!

他に超能力伝説として
一度に十人の話を聞いたとか
空を飛んだとか
呪詛で敵を撃破したとか
伝えられてます

そんなこと有り得ないって
思いますか

今となっては科学的な検証は不可能ですよね
合理的な考察もあまり意味がなさそうです

大事なことは
なぜ、そんな伝説ができたのか
なぜ、聖徳太子と呼ばれたのか

当時の人々
後世の人々の
感性を推し量ることが大切なんですよね

ビジネスも同じなんです
なぜ、人気があるのか
なぜ、売れるのか

消費者の、ユーザーの
感性を知ることが大切なんですよね

迷わず行けよ 行けば分かるさ

はたして聖徳太子は 実在しなかったんでしょうか

実は蘇我入鹿こそが聖徳太子だった
という説もありますね

じゃ、蘇我入鹿は実在したって根拠はなんでしょうか

日本書紀など記録に残ってはいるものの
書かれていることが全て真実
と思う人は少ないですね

入鹿の首塚というのが
飛鳥寺のすぐ近くにあります

いまでも花が供えられてるんですよ
花を供える方がいるってことです

架空の人物をお祀りする人って いませんよね

聖徳太子にはお墓があるんです
大阪府の南部に 叡福寺というお寺があります

丁重にお祀りされいるんですよ

そこには嵯峨天皇をはじめ
歴代の天皇がお参りされてます
記録が残ってるんです

弘法大師、空海も尋ねています

空海だけじゃないんです

融通念仏宗の開祖の良忍
浄土真宗の開祖、親鸞
日蓮宗の日蓮に時宗開祖の一遍上人
など

当時のことです 歩いて
お詣りされてるんですね

架空の人物のお墓に 遠路はるばる
歩いて行きますかね

資料を調べるのもいいですが
史跡を訪ねることが
もっと大事なんだと 思いませんか

シャーロックホームズも
名探偵コナンも
現場に足を運びますね

ビジネスも同じなんです

マーケティングリサーチ すればいいですが

市場に足を運んでみましょう
現場に行くことで 見えること
気づくことが ありますよね

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