唐招提寺にて、鑑真和上について思いをはせる。
先日、行ってきたんですわ、唐招提寺。
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。
本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。
井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
そして、今から1250前、当時の唐から、命懸けで我が国に渡ってきてくれた方が、鑑真和上です。
鑑真
688年(持統天皇2年) – 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))
奈良時代の帰化僧。
日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。
中学校でも高校で教科書読んでも、なんでそこまで必死になって、日本に来たのか、さっぱり分からんかったんです。
失明したのは来日後とする説もありますが、間違いなく5度の失敗・挫折の後、来日請願以来、実に10年の歳月が流れていたんですね。
例えば明治天皇がですよ、明治維新の完成をまって、
「よし、日本はもう大丈夫だ。次は生涯をかけてアフガニスタンを再建するんだ。」
と祖国を出てしまったら、日本国民はなんと思うでしょう?
それと似たような出来事だったはずです。
それほどの熱意、情熱、使命感をもって、わが日本に本当の佛教を、伝えに来てくれたんですね。
当時の日本の仏教界は、実に堕落していたわけです。
来てください、という日本からの使者の、熱意、情熱、使命感が、鑑真さんに伝わったからこそではないでしょうか。
(高僧を招くという命を受け、第9次遣唐使で大陸に渡った若き留学僧たちの運命を描いた小説。)
そして、今の日本の政界の堕落をみるにつけ、
中国からとは言いまへん!本当の政治をもたらす鑑真さん、来てくださーい!
日本のどこかに、きっといるはずですね。
2015.4.8